株式会社 関木材工業

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石材の切り出しから
移動製材業~
株式会社ができるまで

【創業者の祖父】 関 新太郎 ▶▶(1866生~1936没)
関石材部を立ち上げる

新内駅から二キロほどの中腹で花崗岩(かこうがん)の露頭を発見。明治三十五年から採掘をはじめた。
その石材は狩勝隧道のほか新内駅のホーム、鉄道の護岸、建築物の基礎など、鉄道建設のさまざまなところに使われた。

鉄道が開通したあと、石材は新得市街地の土留めや神社・寺院の献灯や碑などの設置物、学校の門柱などに使用された。
花崗岩は採掘当初からきわめて良質なことで知られていたが、昭和三年に釧路の幣舞橋(ぬさまいばし)の建造に使われて
一躍全道的に名をはせるようになった。
その後七年に旭川の旭橋、十年には同じく北海道招魂社の社格昇格記念碑(現護国神社境内)、札幌の豊平橋、北海道神宮の第一鳥居、
小樽運河の石畳、新得小の門柱などの建造に使われ、いまもなお残るものが多い。

時が経ち石材から、線路の枕木を挽く移動製材を始める。

当時の「関石材部」
幣舞橋(ぬさまいばし)

【創業者】 関 一郎 ▶▶(1909生~1995没)
移動製材業 ― 関木材工場所をはじめる

工場を建てる直前までは移動製材で挽いていた。
移動製材の機械は丸ノコ一枚。トロッコの手押しで運び、チーンと挽く。何が欲しいか聞いてそれを挽く賃挽き。
北海道では重宝されていた。それが定着し工場を建てる。創業昭和38年 従業員3,4人。両親や兄弟の家内工業からはじまる。
土木工事の矢板、枕木を挽いていた。

【二代目】 関 道孝▶▶(1935生~1996没)
株式会社 関木材工業が生まれる

新得中学校卒業後、父親(一郎)の移動製材を手伝う傍ら母親と農業を営む。
昭和35年 海外派遣農業研修生として3年間カリフォルニアで生活しながら、本格的に農業に取り組むための資金を準備。
昭和38年 日本に帰国後その資金を使って、木工場が建てられた。
昭和53年 社長に就任 昭和56年 製材工場を現地に移転。
他社に先駆けて新しい機械や乾燥機を導入し、次々に新しい工場を増設。
平成7年に日本で初の国産材ツーバイフォー工場を立ち上げる。

会社概要

社名株式会社 関木材工業
本社所在地〒081-0038
上川郡新得町字新得基線67番地 Google Map
TEL 0156-64-5653
FAX 0156-64-5565
工場所在地◆第一工場/加工場/第三工場
本社所在地に同じ
◆屈足工場
上川郡新得町屈足西一線1-9 Google Map
TEL 0156-65-2244
FAX 0156-65-2288
会社設立昭和43年 (創業/昭和38年)
資本金2,500万円
年商1,624百万円 (令和6年3月期)
役員代表取締役会長 : 関 孝和
代表取締役社長 : 山内 ゆかり
取締役保全部長 : 山内 聖昭(非常勤)
業務内容北海道産からまつ・とどまつの製材チップ製造販売
従業員数43名(新得29名/屈足14名)

沿革

昭和38年 7月
関木材工業所として創業 土木工事用の矢板、枕木等の賃挽からスタート
昭和43年
有限会社関木材工業として法人化
昭和56年
現在地に移転 当時珍しい横送りのレイアウトで新工場を建設(現在の第一工場)
資本金1,000万円に増資
昭和58年
株式会社関木材工業に組織変更 短材挽きの機械を開発導入
昭和60年
短材専門工場併設のチッププラント導入(現在の第二工場)
資本金1,500万円に増資
昭和61年
乾燥設備導入
優良申告法人として表敬を受ける
昭和62年
加工部を新設
平成元年
2交代制を導入
資本金2,000万円に増資
平成2年
資本金2,500万円に増資
第3工場を新設、設備を倍にし2交代制を解く
食堂兼休憩室を新設
平成3年
優良申告法人として二回目の表敬を受ける
平成5年
創業30周年を迎える
平成7年
屈足に日本初の国産材によるツーバイフォー工場を新設(現在の屈足工場)
平成9年 1月
代表取締役社長 関 孝和 就任
平成15年
ツーバイフォー工場(現在の屈足工場)で梱包材の生産開始
平成25年
創業50周年を迎える
平成28年6月
代表取締役社長 山内ゆかり 就任

代表取締役会長 関 孝和 就任

平成29年
ツーバイフォー工場を「屈足工場」に名称変更
新ライン増設、生産内容を拡大
令和2年12月
代表取締役会長 関 孝和が、北海道産業貢献賞を受賞